【山形】明倫中、マット事件から20年、時が流れ薄れる記憶 地元住民らなお残る「真相は?」

 新庄市の明倫中で1993年1月、1年の男子生徒=当時(13)=が体育館の用具室で死亡した事件から13日で20年となった。
同校1、2年生計7人が傷害容疑などで逮捕、補導され地域社会に大きな衝撃を与えたほか、少年審判、民事裁判とも
曲折を経るなどし、少年法改正の契機にもなった事件。関係者に複雑な思いを残したまま、時が重ねられている。

 「もう20年もたつんですか」。明倫中の近くにある自宅前を除雪していた会社員男性(63)はしみじみと語った。
あの年も今年と同じように雪深かった。事件当時、長男と長女は既に高校に進学していたが、
「わが子が通っていた学校内で、子どもが亡くなったなんて」と衝撃を受けたことは覚えている。
しかし現在は「近所でも事件のことは話題に上らなくなった」。事件は地元でも過去のものになりつつある。

 少年審判、民事裁判とも最高裁まで及んだ。特に民事では一審の山形地裁が加害者とされた
元少年7人の関与を否定したものの、仙台高裁では一転して全員の関与を認定。最終的に最高裁は高裁判決を支持した。
司法判断が揺れた影響で「いまだに事件の真相がよく分からない」と語る市民は多い。

 学校周辺は20年前と比べ新しい住宅が立ち並ぶなど、様変わりした点も多い。
最近、引っ越してきたという30代男性は「事件について特に思うことはない」と言葉少な。
自宅前を除雪していた女性も「事件発生当時は仙台市に住んでいた。
この近くの学校で大きな事件があったという話を聞いたことはあるが、詳しくは知らない」と話した。

 一方で、「(加害者とされた)元少年側が裁判のやり直しを求める動きがあると聞く」と言うのは
同校の学区内に住む介護士男性(56)。「20年たった今でも解決していない事件だという印象はある」。

 事件に直接関わりのある人たちの口は重かった。「もう触れてほしくない」―。
取材を断る短い言葉からこうした思いが垣間見られた。亡くなった生徒の父親(63)は
「申し訳ないが、取材はお受けできない」。元少年たちにも代理人弁護士を通じて
取材を申し込んだが、回答は「そっとしておいてほしい」ということだった。

明倫中事件 1993年1月13日に新庄市の明倫中で発生。体育館用具室内で同日夜、
1年生の男子生徒が巻かれたマットの中に頭から入った状態で死亡しているのが見つかった。
日常的にいじめがあったとされ、県警は1、2年生の少年7人を傷害と監禁致死の容疑で逮捕、補導。
少年審判で逮捕の3人は「無罪」に当たる不処分決定、補導の4人のうち3人は
「有罪」に相当する保護処分となった。保護処分の3人は仙台高裁に抗告し、
同高裁は棄却した上で7人全員の関与を指摘。3人の再抗告は最高裁で棄却された。

 その後、男子生徒の遺族が少年らに損害賠償を求めた民事裁判で山形地裁
7人全員のアリバイを認定、事実上「無罪」とされた。だが、仙台高裁は一転して全員が関与したと判断。
最高裁元少年らの上告を棄却し、司法判断は「全員有罪」との結論で終局した。

http://yamagata-np.jp/news/201301/13/kj_2013011300284.php